沈殿コーヒー/Kopi Tubruk

沈殿コーヒー Bandung_West Java, 2018

ここ数年、インドネシア、特にジャカルタ周辺ではコーヒーが熱いのです。
インドネシア各地から集められた豆、独自の焙煎、こだわりの抽出法、を謳う、
いわゆるサードウェーブ系のコーヒーショップがあちこちに。
そして、最近ではカジュアルなアイスコーヒー店が人気です。
かつては、良質な豆は全て輸出され、国内に流通するのは下位グレードの豆だとも言われましたが、
現在は国内でもよい豆が出回るようになっているようです。

が。

今回お話するのは、そういう「カフェ」で「おしゃれ」なコーヒーではなく、
道ばたの茶店でおじさんたちがお喋りしながらちびちびと飲んでいるような、昔ながらのコーヒー。
ガラスのコップに入れられた、底にカスが残るような沈殿コーヒー(とわたしは呼んでいます)です。
バリなどへ旅行に来た際、コーヒーをくいっと飲んだら口の中にカスがわーっと入ってしまって、
慌ててぺっぺと吐き出した、なんて経験をしたことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか。
あれです。あのコーヒーです。

沈殿コーヒー Jakarta, 2018

インドネシア語でコーヒーはコピ/Kopi。かわいい音ですよね。
元々はアラビア語で「強さ」を意味するカフワ/Qahwahが語源と言われています。
カフェインの作用からくるのでしょうかね、強さ、って。
それが、トルコの言葉でカヴェ/Kahvehとなり、オランダ語のコフィー/Koffieとなり、
インドネシア語でコピとなったのだそうです。
インドネシアに初めて、植物としてのコーヒが持ち込まれたのは、1696年だとか。
オランダ政府によって、東ジャカルタのジャティヌガラ近辺でまず植えられたのが最初だそうです。
その地域は現在、コーヒー小屋を意味するポンドック・コピ/Pondok Kopiという地名になっています。
その後、やや間をおいて、1830年のオランダ東インド会社の強制栽培制度の開始を受け、
ジャワ島内、そしてスマトラ島などにプランンテーション展開されていきました。

現在、インドネシアは世界第4位のコーヒー豆産出国。産地は国内各地に広がっています。
アチェ、ガヨ、スマトラ、ジャワ、バリ、キンタマーニ、トラジャ、フローレス、ティモール、パプア、など、
コーヒーのパッケージに書かれている地名に見覚えがあるかもしれません。

コーヒーの産地に行くと、市場などで生豆を売っているのを見かけることもあります。

生豆 Tana Toraja_South Sulawesi, 2011

これは、日本でもコーヒーの産地として知られている南スラウェシの、タナトラジャの市場。
粒も不揃いな豆たちなのですが、地元も市場となるとそういうものなのだと思います。
ここの市場では、生豆だけでなく、焙煎した豆、既に挽いてある豆などもあちこちで売られていて、
コーヒーの根付いた土地だなあという感じでした。

市場のコーヒー売り Tana Toraja_South Sulawesi, 2011

こういう土地では、
例えば街を散策していると、家庭で豆を煎っているのか、どこからともなく香ばしい香りが漂ってきたり、
また、森を歩いていると、ジャスミンにも似た甘くて微かなコーヒーの花の香りに包まれることがあります。
幸せな気分で、空気の中の香りを辿りたくなります。

トバ湖畔のコーヒーの花 Toba_North Sumatra, 2014

で、この沈殿させて上澄みを飲むコーヒー。
インドネシアではコピ・トゥブルック/Kopi Tubrukと呼ばれています。
トゥブルックとはジャワ語で「ぶつかり合う」というような意味を持っているようで、
コーヒーを粉にする際に、アルとレスンと呼ばれる搗き臼を使って潰す行為に由来すると思われます。

コーヒー挽き Flores_East Nusa Tenggara, 2016

こちらは、東ヌサトゥンガラ州のフローレス島の山中にある、ワエレボ村でのコーヒー挽き。
臼で潰しています。

挽き上がったコーヒー Flores_East Nusa Tenggara, 2016

かなり細かく潰すんですね。
沈殿コーヒーの粉は、とても細かいのが特徴。ペーパーフィルターだとすぐに詰まってしまいます。

ちなみに、このワエレボという村。
電気は通っていないし、バイクも通れない道を3時間ほど登ってたどり着く村です。

ワエレボ村 Flores_East Nusa Tenggara, 2016

ちょっとおとぎ話みたいなビジュアルの村なのですが(笑)。

この村の主要作物もまたコーヒーなのです。村にたどり着く道々にはコーヒーの木が沢山。

コーヒーチェリー Flores_East Nusa Tenggara, 2016

山間ゆえに、午後になると雲に包まれてしまいがちなのですが、
朝の陽射しがあるうちに、村人たちはせっせとコーヒーを広げて天日干しにしていました。

コーヒーの天日干し Flores_East Nusa Tenggara, 2016

このとんがり屋根の伝統家屋の中央には囲炉裏場があるのですが、
そこで大きなフライパンを使って自分たちが飲む用の豆をローストしていました。ふんわりいい香り。

この村のコーヒーはジャワ島の契約業者がまとめて買い取りにくるのだそうです。
バイクも通れない道だけど。

この村に限らず、フローレス島も美味しいコーヒーの産地として知られている島です。

フローレスコーヒー Flores_East Nusa Tenggara, 2016

話しを戻して。
沈殿コーヒーは、細かく挽いた粉にお湯を注いでしばらく待ち、粉が沈んだところを飲みます。
とてもシンプルでベーシックな飲み方です。
ジャワやバリでよく飲まれる飲み方、という説明も目にしますが、
わたしが各地を旅して回っている範囲では、全国区でみられる飲み方だと思います。
(一部、布フィルターで漉して淹れる地域もありますが、それらの地域でも沈殿コーヒーは飲まれます)

家庭で煎って挽くだけでなく、
全国区からローカルまで様々なコーヒー会社から、この沈殿コーヒー用の粉が発売されています。

コーヒー粉 Bandung_West Java, 2018

有名どころでカパル・アピ/Kapal Api。
インドネシア国内ほぼどこででも目にする大手コーヒー会社のコーヒーです。
アロマ/Aromaはバンドンの老舗コーヒー店。わが家の定番コーヒーです。
同じくバンドンの老舗ジャヴァコ/Javacoは、クラシックなパッケージがぐっと来ます。
目を引くパッケージといえば、のナガ・サンヒエ/Naga Sanghieはメダンのブランドです。
この他、バリの蝶のマークのコーヒーなど、沢山のご当地ブランドがあります。

アロマコーヒー店内のコーヒー豆 Bandung_West Java, 2014

道ばたの茶店で目にすると言えば、
この小さいサシェットに入ったコーヒー+砂糖、もしくはコーヒー+砂糖+ミルクが既に混ぜられているもの。

個装コーヒー Bandung_West Java, 2018

このタイプの既にミックスされている商品は、いずれ劣らず、あまーーーーーーーーーーいです。
普通に家で飲むと「うはあ」となるのですが、不思議と、旅先の島、海辺、山などシチュエーションが変わると、
「ああ美味しいなあ」と感じてしまうマジック。わたしの中では「旅の味」という感じです。

アーベーセー/ABCはミルク入りの3イン1タイプ。
トラビカ/Torabikaはミルクなしの砂糖のみ。
このトラビカというブランドは、2015年に公開され、
ジャカルタのカフェブームを加速させた映画「Filosofi Kopi(邦題『珈琲哲学』)」のオフィシャルスポンサー。
せっかくなので、トレイラーをどうぞ↓



では、この沈殿コーヒーを飲む際の手順を。
まず、ガラスのコップを用意します。必須ではないのですが、その方が「それらしい気分」が出ます。
で、そこに粉を入れます。
カパル・アピのパッケージに書かれている分量は大さじ1杯の粉に対して200mlのお湯。まあ、ここはお好みで。

沈殿コーヒー Bandung_West Java, 2018

砂糖を入れる場合は粉と一緒に先に入れておきます。

で、そこに、沸騰したてのお湯を注ぎます。
沸騰したて、というのが肝心で、ディスペンサーなどの温度の低いお湯を使うと、ちゃんと沈殿しないのです。
お湯を注いだらくるくるとかき混ぜて、しばし待ちます。3分とか。5分とか。5分はかからないかな。
おおよその粉が沈殿したのが見えると思います。でも、表面にはまだうっすら浮いているかもしれません。

沈殿コーヒー Bandung_West Java, 2018

この浮いているカスは、ふうふうと息を吹きかけてよけます。そうすると、沈んで行くんですね。
で、あちあちとカップの縁をもって、召し上がれ。
まあ、3分とか待っているので、そこまで「あちあち」ではないのですが。

コピ・トゥブルック Jakarta, 2018

お店で、ソーサーが蓋になって出されることもありますが、これもご愛嬌。
沈殿コーヒーの正しいお作法的には、このソーサーにコーヒーをこぼして飲む、という話しもあります。
これ、もしかしたら古いヨーロッパの作法に由来するのかもしれないですね。
以前、ヨーロッパのアンティークのティーカップで、ソーサーが深いものを見たことがあり、
その際、当時はソーサーにこぼして冷ましながら飲むのがマナーだったという話しを耳にしました。
実際にこぼして飲むか、そのまま飲むかは、各自のご判断でどうぞ(笑)。

そして、飲み終わり。ここの見極めは大事です。
最後まで飲み切ろうとは、決してしないこと。口の中がカスカスになって泣きたくなります。

沈殿コーヒー Bandung_West Java, 2018

ほどよく、上澄みを残したところで、飲み終わりとしてください。

ところで、このインドネシアのコーヒーですが、混ぜ物がある場合がよくあるんですね。
生豆を買うと分かるのですが、大豆とか、トウモロコシとか。あと煎る段階で米とか。
これ、ズルしているわけではないのだと、北スマトラでコーヒーを栽培している方が教えてくれました。
沈殿コーヒーとして飲む際に、そのままだと苦すぎてしまうから、という理由なのだとか。
なるほど。
わたしはコーヒー好きですが、味にうるさいわけではない雑食(飲)な口なので、
大豆入りと聞いても、きな粉風味も美味しいかもしれない、くらいにしか思っていませんでした。
(実際には、きな粉の味はしません、笑)

さて、コーヒーついでにこちらも。
コーヒーの葉っぱのお茶について、せっかくなので紹介しておきましょう。

カワ・ダウン Bandung_West Java, 2018

カワ・ダウン/Kawa Daunと呼ばれるこちらは、西スマトラ地域の伝統的な飲み物です。
コーヒーの葉を乾燥させて、お茶のように飲む飲み物。

その発祥に関しては、
一粒たりともコーヒー豆を残さない厳しいオランダの強制栽培制度ゆえに、
どれほど栽培し収穫しようとも、自分たちは一切コーヒーを飲むことが出来なかった現地の人々が、
その葉にもカフェイン効果は残っているのではないかと期待して飲み始めた、という説が一番よく聞かれます。
ですが一方で、西スマトラ内陸部ではオランダ統治以前からコーヒーは栽培されており、
その地域ではそもそも豆ではなく、葉を消費していたのだという説もあります。
西スマトラ内陸部でコーヒーのプランテーションが展開され始めたのが、ジャワに10年遅れた1840年、
その頃には既に、このカワ・ダウンの飲用習慣はあったとする歴史研究家の説に基づいています。

で、このカワ・ダウンの飲み方。
乾燥させたコーヒー葉を水から沸騰させて5分ほど煮立てた後、漉して、砂糖などを加えて飲みます。

カワ・ダウン Bandung_West Java, 2018

現地では、半分に割った椰子殻を器にして飲むのが流儀なのだとか。
味は、コーヒーというよりお茶ですね。
葉を乾かすプロセスの中に燻す過程があるようで、スモーキーな香りと味がします。
プーアル茶が一番近い気がします、味も香りも。

そして最後に、これもまたインドネシアらしいコーヒーを。

生姜入りコーヒー Bandung_West Java, 2018

生姜入りコーヒー。違う、コーヒー入り生姜飲料と言った方がいいかもしれない。
熱帯地方ではあるのですが、インドネシアのひとたちは身体を冷やすことをとても嫌がります。
なので、生姜のような身体を内側から温める食材は好まれ、温かくて甘い生姜の飲み物は定番です。
で、そこに、コーヒー。これも決して珍しい飲み物ではありません。結構美味しいんですよ。

今回地名が出てきた土地は、だいたいこの辺りです。


A:メダン
B:西スマトラ(ブキティンギ周辺)
C:ジャカルタ
D:バンドン
E:タナトラジャ
F:フローレス(ワエレボ)

インドネシアはコーヒー天国です。
シングルオリジンな選りすぐりの豆から好みのローストで味わうのもあり、
マレー系で見かけるコピティアムもあり、
そして、インドネシアらしい沈殿コーヒーもあり。

沈殿コーヒー Bandung_West Java, 2018

ふうふうとカスを吹いてよけながら、ちびちびと沈殿コーヒーを飲み、道行く人々を眺めてほっと一息入れる。
そういうひと時がなんとも言えず、とてもインドネシアらしい時間に思えるんですよね。
機会があればぜひ、お試しください。


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